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youko03

Author:youko03
ある日、突然、不思議な世界に迷い込んでしまいました。今は、その目に見えない世界を通じて、多くの人々の悩みを解決しようと試みています。毎日起こる不可思議な出来事を「私らしく」お伝えしたいと思います。


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■ はじめに ■

「愛の伝言 心迷うあなたへ」6月刊行。
ただ今好評発売中です。

悩みごとのある方、人生ってなんだろう?と思っている方にオススメです。
読んでいただけると、とてもうれしいです!
 
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前記事の続きですが、

「悪徳業者と勘違いした」



勘違い、、、という言葉はよく耳にします。

たとえば、現実に起こった前記事の問題ですが、

何をどう勘違いしたのか、

勘違いの思考とは何か、

を、探ってみたいと思います。



届いた物が壊れていた。

    ↓

壊れた物を送ってきた。(まず、ここで思い込みが発生します)

    ↓

壊れていたので返金を求めた。

    ↓

「壊れた物を送っていない」、と言われた。

    ↓

壊れていたのに壊れていなかったと嘘をつき、返金に応じないということは、

詐欺師だ、犯罪者だ。

犯罪者はきっと組織化しているに違いない。

個人を装って犯罪しているのだ。きっと、そうに違いない。

これは悪徳業者に違いない。

悪徳業者なら訴えなければ。被害届を出さなければ。

警察に動いてもらわなければ。







きっと、こういう思考回路だったのではないかと推測します。

痴呆症も、同じような思考回路ではないかと思います。

被害妄想も、同じだと思います。

それに加えて間違った正義感が入っています。

悪徳業者と戦う自分、、、自分は正義の味方、ヒーローだ、と思っています。





まず、思考の何が問題かというと、

全く事実確認をしようとしていません。

事実を確認すること自体が思考の中にないのです。

自分が思ったのだから事実もそうなんだ、と。

確認するまでもない、と。

思い込んでいるのです。

「自分は正しい」と。



事実確認は何をおいても大事です。

事実と違うことを言うと、それ自体が法律上でも罰せられます。

思い込みは行き過ぎると、法律上でも罰せられる可能性があるのです。


事実を確認するには、

状況判断や分析力が必要です。

推理力や洞察力も必要です。



「壊れた物が送られてきた」という現実に傷つき、

被害妄想になり、

事実を確認しないで感情的になって相手を責めるだけでは、

何の解決にもなりません。



単なるネット上でのやり取りだったはずなんですが、

人間 対 人間。

全く見ず知らずの人ですが、

相手が傷ついた心をストレートに子供のようにぶつけてきたので、

「さびしい人」なのかしら?と、ふと同情する今日この頃です。





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インターネットというのは、独りの世界です。

ネット上でやりとりをしても、「ひとりの世界」なのです。



1週間前に、いらなくなった物をネットで個人使用の中古販売しました。

買い手がついたので良かった、と思っていたのですが、

数日後に買い手の人からメールが、、、。



受け取った物が壊れていた、と。

そして、その人のメールには、

「壊れた物を送ってきた。返金願います」と。



なに??壊れた物を送ってきた???(怒)

その言葉にイラっとしたので、

因縁つける気???(怒)と思ったので、

「壊れた物を送ってません。発送した時点では壊れていませんでした。」

と、メールをすると、



その返事が、

「壊れた物を送ってきておいて、返金に応じないあなたは犯罪者です。

警察に被害届を出します」と。



あ~~~、やっぱり因縁つける気なんだ、と確信。

でも、何で因縁つけたいのかしら?

うさ晴らし?? 




お互いの顔が見えないとはいえ、

あまりにも短絡的行為、、、。



事実確認もしないで、思い込みだけで人を決め付ける。

相手の顔を知らないから、余計に思い込みが膨らむ。

(はっきりいって申し訳ないですが、子供っぽいというか、幼稚です。)



「病んでる人にはどう対応したらいいのか、、、、」と考えながら、

とりあえず返信。

「あなたの行為は名誉毀損になりますよ」と注意を促し、

「こちらで壊れてなかったものが、壊れて届いたということは、

搬送中に壊れたのではないかと思います。

業者に連絡してみましょうか?」

と、メールをすると、


「悪徳業者と勘違いしていました。すみませんでした」

という謝りのメールが届きました。

何をどういうふうに解釈すれば、悪徳業者と勘違いするのか、、、、。 





お互いの顔が見えない、見知らぬ相手とやり取りをするということは、

ちょっとしたことでトラブルになるのです。

とても気をつけなければなりません。



それが、ネット上での人とのやり取りなのです。


 
今、6月出版の本の初校の訂正をしています。


何度も読み返しているはずなのに、

間違いや誤字脱字、、、あります、あります(汗)。


編集担当のNさんが、丁寧にチェックしてくださっていて、

本当にありがたいですm--m。



自分では自然に使ってる言い回しも、

他人の目からみると、

「こう表現したほうがわかりやすいのね」、

と、思う部分も多々あり、勉強になります。





あとは、イラストの仕上げが残ってます。


イラストって、、、空いた時間にちょこちょこっと描く、、、

という気分になれず、、、

モチベーションを一気にあげないと、

なかなかペンが進みません。




がっっっ、がんばります!!!





 
昨日の激しい頭痛は、

最後のご相談者さまが原因かも、、、と思った理由は、

もう一つあります。



その方にお茶をいれようと思って、

お茶を用意していたとき、

急須のふたが10cmくらい下のカウンターに落ちたのです。


すると、ふたが真っ二つに、、、割れて、、、。



「頭痛はするし、ふたは割れるし、、、」



これは、きっと今来られたご相談者が何かつれてこられたに違いない。

と、私は確信したのでした。



でも、相談が終わりに近づいたとき、

愛猫のココ丸が部屋に入ってきて、

ご相談者さまにすりすりと擦り寄っていったので、

「きっと、憑き物はとれたに違いない」と、ちょっと安心しました。



がっっっ、頭痛がおさまるまでは、大変でした~~~。





なぜ、今回の話をしつこく書くのかというと、

ご相談者さまの影響を受けるのはよくあることだし、

こちらもそれでどうこうと思わないのですが、

昨日のは、今までとは比べ物にならないくらい

きつかったからです。(汗)



 
昨日のご相談者さまは、

ご友人からのご紹介でした。



そのご友人は、私のところに相談に来た日に、

「実は、今から男性を紹介してもうらんです」という話をすると、

「その人は、運命の男性です」

と、私に言われた、と。

(私はほとんど覚えていなかったのですが、

そういえば、、、とぼんやり思い出しました)

「実は、その男性と結婚が決まったんです」



それで、自分も運命の男性に出会えるかどうか、

というご相談でした。






 
霊の話を書いたあとで、とてもタイムリーなのですが、

今日の一番最後に来られたご相談者さま。



彼女が来る少し前から、頭痛がはじまり、、、、。


この頭痛は私の頭痛??

それともご相談者様の頭痛??



でも、たいていは相談前に体調を崩すときは、

ご相談者さまの状態を表していることが多いので、


「もしかして、すごく大変な状況なんだろうか、、、」

と、ある程度覚悟をして相談にのったのですが、



彼女の悩みは、「仕事のことと恋愛のこと」。

よくある悩みです。



でも、話をすればするほど、

頭痛がひどくなる。


これは、ただごとではない!!と思って、

彼女からそれとなく話を聞きだそうとするのですが、

表面的なことをポツリポツリと話すていど。


よほど話たくないに違いない、、、。

と、思ったので、こちらも抽象的にアドバイスをしたのですが、、、。


私が見えたのは、

「仕事の人間関係がひどい状態である」ということ。

「一日も早く辞めたほうがいい」ということ。

それと、「職場の人の生霊」。


見えたことをそのままお伝えすると、

かえって不安がらせてしまうおそれがあると判断し、

「生霊」については何も言わず、

「職場の人間関係で困っているのでしょう?」と。



ぶっ倒れそうなくらい頭痛がひどくなり、

とりあえず私のほうも、

「どんな事情があっても、仕事は早く辞めなさい」と伝えるのが精一杯。

(修行が足りないですね、、、苦笑)

すると、彼女の口から、

「辞めると上司に何を言われるか、、、怖くて言えない」と

ポツリと一言。



辞職願が怖くて出せない、、、、ってどれだけひどい状態???

「とにかく、何を言われてもいいから辞めなさい」と。

(アドバイスになっていない、、、^^;)




彼女が帰ったあと、

頭痛のひどさにもんどりうって転げまわってる私を見て、

母が一言。

「一体、どんな相談だったの?」



頭痛と吐き気と気持ちの悪さと、

生きた心地がしない~~~~。

急いで、夕食をとり、(食べると少し気分が楽になる)

「スーパーナチュラル」のDVDを観る私。

すると、徐々に頭痛もおさまりはじめ、、、、。

と、同時にものすごい眠気におそわれ、、、、。

目を覚ますと、DVDの終わりに差し掛かっていました。




起きると、嘘のようにすっかり頭痛もおさまっていて、

彼女にとりついていた生霊の影響や残り香も、

すっかりとれていました。

ただ、寒気を感じたので、温度計を見ると、

21.5℃。

暑いくらいの温度です。



メール相談でも、ときどき寒気を感じるときがあります。

それで、状態の悪さがわかることは多々あります。



とにかく、

久々に大変な相談でした、、、。



こういうときに祓うためにも、

好きな人や好きなもの、趣味は必要なのです!!

「スーパーナチュラル」にはまってて良かった~~~。

と、しみじみ思いました。





 
どうやら、私が理解出来る「霊の話」は、ここが限界のようです。

すごく、中途半端な表現ですみません。



それくらい、地球上には情報もなければ、

表現する言葉もない、、、ということです。



私自身も、霊のことについてわかってない、、、です。





 
幽霊というのは、

肉体を離れたエネルギー体(霊体)です。



普通は、肉体を離れる(簡単に言うと死)と、

エネルギー体はしばらくその原型をとどめていますが、

やがて、行くべきところへ行きます。(成仏します)


心は、肉体から離れると、

心のソースへ戻ります。


気持ちや感情は、エネルギー体に残っていますので、

幽霊は、肉体を離れたエネルギー体のことを言います。





よく、「亡くなったお祖母ちゃんが守ってる」と言いますが、

これは一体どういうことを言うのでしょう?


善の気持ちが残っているエネルギー体は、

肉体から離れたあと、その一部が、縁のある人の保護膜の一部となります。

直接会ったことのない遠いご先祖様でも、

縁があれば、保護膜は人から人へと代々つがれていきます。




逆に、悪意が残っているエネルギー体は、

浮遊霊となって、生きている人の保護膜を傷つけます。




それ以外の部分のエネルギー体は、

エネルギー体を浄化する場所へ行き、

そこで浄化され、

次の肉体と魂(心)が準備されるのを待ちます。



 
生霊をとばす人は、どうなるのでしょう?


生霊は、傷ついたエネルギー保護膜から漏れたエネルギーを、

思念で動かしている状態です。

つまり、思念で動かしている間は、エネルギーは漏れ続けている、

ということです。



エネルギーが漏れ続けている状態というのは、

肉体がどんどん弱っていくということです。



生霊を使う人は、

最終的に病気になりやすく、しかもその病気で苦しみます。

しかも、病気になることで周囲に迷惑トラブルをかけます。



生霊にとりつかれて命を失うことは、まずありませんが、

生霊を使って命を失うことはある、ということです。


その場合、悲惨な最期である可能性が高いのです。

 
「生霊がとりついている」

と、言いますが、それは一体どういう状態のことを言うのでしょう?



気持ちが傷つくことでエネルギー体の保護膜が破れて、

エネルギーが漏れます。

漏れたエネルギーは元のエネルギー体から離れると粗悪になります。


人は、思念波(テレパシー)を少なからず使っています。

誰もがこのテレパシーを使って粗悪なエネルギーを操ることが出来ます。

「傷ついたのはAさんのせい!」と強く念ずると、

その想念(テレパシー)が粗悪なエネルギーを動かし、

Aさんにまとわりつくのです。


粗悪なエネルギーにまとわりつかれたAさんは、

何となく気分が落ち込んだり、病気になりやすくなります。

なぜなら、粗悪なエネルギーは、とりついた相手の保護膜を傷つけるからです。

Aさんが普通の人だと、

「最近、調子が悪い」と思うでしょうし、

霊能力のある人なら、

「生霊にとりつかれた」と思うでしょう。



霊能力が合っている人なら、祓うでしょうし、

祓えない普通の人は、「調子が悪い」と言いながら過ごすでしょうし、

祓えない霊能力者は、お祓いに行くでしょう。





生霊を祓う方法ですが、

結局は保護膜を傷つけられるわけですから、

「病気について」の記事で書いてあるように、

出来るだけ自分に合うことをして、心を落ち着かせることです。

粗悪なエネルギーは健全なエネルギー体に長い時間とりつくことは出来ません。


ただし、保護膜がもともと破れていると、中に入り込んでくることもあるので、

そうなると、祓うのに時間がかかります。


時間がかかっても、一生とりつくということはまず無いので、

根気よく、心を落ち着かせるために、好きなことをしたり、

何かに夢中になったり、

自分に合うことを率先してすることです。




 
私たちは、肉体と心(魂)とエネルギー(霊)で構成されています。


いわゆる霊能力というのは、

このエネルギーを人一倍、生々しく感じる能力です。


普通の人は、ばくぜんとしか感じることが出来ません。

でも、霊能力のある人は、

生生しく感じるのです。



たとえば、生霊は、

生きている人のエネルギー保護膜が傷つくことで、

その人から漏れたエネルギーが、

その人の念(思い)によって、人に影響を与えている状態です。


エネルギーは元のエネルギー体から離れれば離れるほど、

粗悪になります。



エネルギー保護膜に傷がつくのは、

心(気持ち)が傷ついたときです。

心(気持ち)が傷つくと、エネルギーが漏れます。

漏れたエネルギーは、離れれば離れるほど粗悪になります。



その粗悪なエネルギーを一般に「生霊」と言います。



霊能力のある人は、この粗悪なエネルギーを生生しく感じるのです。

その人の能力のレベルに応じて、感じ方は違います。



霊能力者は、

身近な、あるいは縁のある人が傷つくことでその人から漏れ出たエネルギーを感じると、

その粗悪なエネルギーの影響を受けて、

気分が落ち込んだり、

傷ついている人の抱えている病気やトラブルを生生しく感じたりするのです。



粗悪なエネルギーを感じることが合わない霊能力者は、

エネルギーを感じることで、人生が難しくなります。

なぜならそれに振り回されるからです。祓えないからです。



粗悪なエネルギーを感じても、

それを祓える人は、霊能力という能力が使える人です。

つまり、合っているということです。






 
人の肉体は、

見えないエネルギーの膜で保護されています。



肉体の形のエネルギーと、

それをコーティングしている膜と、

それをさらに保護している膜があります。



この膜は、外側からだけでなく、肉体を傷つけなくても、

内側から傷がつきます。

つまり、心の状態(内)が悪くなると傷がつくのです。



傷がつくと、そこから膜が破れます。

膜が破れると、エネルギーが漏れます。

そうすると、その部分が肉体的にも弱くなるので、

病気になりやすくなるのです。




 
人は、それぞれ持って生まれた能力があります。



けれど、ここで間違えてはいけないのが、

「能力がある = 合う」とは限らない、ということです。


たとえば、運動神経の能力があるから、

スポーツが合うとは限らない、ということです。

脳能力があるから、

勉強が合うとは限らない、ということです。


霊能力があるから、

霊媒が合うとは限らないのです。



能力があることで、

人生が難しくなるのは、このためです。



能力があっても、合わない場合は使わないことです。

能力を使わないというのは、どういうことかというと、

「能力を管理コントロールする」、ということです。



人は、能力があると、無意識に使ってしまうのです。

使わない努力が必要なのです。

なぜなら、合わないのに使うと、人生が難しくなるからです。




生まれたときから与えられたものでも、

使うといいものと、使うと困るものが混じっているのです。




 
持病や遺伝の病気を持っている人は、

生まれたときからその部分が弱いので、

人一倍、合うこと(つまり、いいご縁のもの)を探して、

それに関わることです。



ウイルス感染の病気は、

「運」によるので、

かかった場合は、病院で治療を受けた後、

きちんとリハビリをすれば大丈夫です。









 
何が原因であれ、

否定的な気持ちになった人が、

病気になりやすいのです。



何が原因であれ、

否定的な気持ちになると損です。



病気になって嬉しい人がいるでしょうか?

いるとすれば、自傷行為です。



自分を傷つけたい人は、

その時点で病気です。



病気になんかなってたまるか!!という思いがあるなら、

否定的な気持ちになってはいけません。

難しい問題にぶちあたったとき、

一人で解決しようと思ってはいけません。



している事が合わないとわかったら、

そこから離れる勇気を持つことです。


 
鬱や精神障害の人は、

頭部のエネルギーが足りません。


頭部にエネルギーを与えて、

コーティングをし、その上に保護カバーをし、

エネルギーが足りなくなる状態を作らないようにすれば治ります。

この場合のエネルギーは「気」とも言います。



なぜ、エネルギーがなくなるのかというと、

難しい状態を感じたり、答えのでない問題にあたったり、

否定的な気持ちになると、

頭部からエネルギーがどこかへ吸い取られるかのように、

流れ出てしまうのです。


このとき、保護膜は破れた状態です。



エネルギーが流れ出る場所は人によって違います。

胸から流れ出る人もいれば、

足から流れ出る人、

お腹から流れ出る人、、、、様々です。



エネルギーが流れ出る(もれる)場所は、

保護膜が破れ、とても弱った状態です。

ですので、そこから病気になっていきます。



否定的な気持ちになったとき、

頭からエネルギーが漏れる人は、精神障害になりやすく、

胸から漏れる人は、肺や心臓病になりやすく、

お腹から漏れる人は、胃や腸の病気になりやすいのです。





では、保護膜を修復し、エネルギーを与えるにはどうしたらいいのでしょう?


出来るだけ合うことをして、

合わないことに関わるのをやめることです。

そうして、余計なストレスをかけないようにして、

気持ちを安定させて、心を落ち着かせれば、

時間はかかりますが、自己治癒力で少しずつ治ります。



ただ、現実的にすべて100%合う状態は作れません。

合わない部分は、考え方で補うことです。

つまり、高い意識になるように努力することです。





保護膜が破れて、エネルギー不足が続き、

完全に病気になってしまったときはどうすれば良いのでしょう?



病院に行って、治療してもらうことです。

そのあと、リハビリ(つまり自己治癒力で治す)をすることです。


 
自己実現には、多少なりともお金がかかります。



実際のところ、現実的には、

自己実現に向かうための道に進むと経費がかかります。


ある意味、「経費のかからない自己実現はない」と、

思っておいたほうが正しいと思います。


逆にいうと、

経費がない人は自己実現は難しいということです。



お金を出来るだけかけない自己実現の方法はあります。

でも、それでも多少の経費は必要なのです。




「経費がないから自己実現を諦める。」

「経費がかかっても自己実現の道へ進む。」

私は、後者をおススメします。



時間をかけて経費を作ればいいのです。

経費が出来てから、自己実現の道へ進んでも遅くはありません。


あるいは、経費を作りながら自己実現の道を進めばいいのです。

(ただ、経費を作りながら、、、の場合、

経費を作ることにエネルギーを吸い取られるおそれがあるので、

自己実現のためのエネルギーと時間を作りにくくなるという、

マイナス面はあります。)



自己実現に無駄にお金をかけるのは賢明とはいえませんが、

必要最低限のお金をかけないと自己実現は出来ない、

という現実を知っておくのは賢明だと思います。




 
「話し相手」になってほしくて、相談に来られる人も、

私の管轄外です。



「話し相手」を求める人は、

本当のことを教えて欲しいわけではありません。

話の相手をして欲しいだけだからです。



こちらが本当のことを伝えても、

意味を成さないので、

時間もエネルギーも単なる無駄になってしまうのです。



話の相手をして欲しい人は、

話すことで安心したいだけなのです。

私がすることは、相手の話に付き合うことです。



ですので、話したい人には、

私もとことん話に付き合いますが、

私自身は、そのあと、なんとも言えないむなしさを感じて、

少し落ち込みます。



しかも、話たいだけの人は、

本当のことを言いません。

言う必要もないと思っているからでしょう。

ですので、こちらも本当のことを言っても無駄になります。





誰もが自己実現にむかって真剣に取り組むことで、

人生が充実しはじめます。


人生が充実しはじめると、

自分のことで忙しくなります。

自分をとても大切に感じはじめるので、

もっと本当のことが知りたい、と思います。



そういう人たちのために、私の能力は存在しているのだと思っています。




 
ちょっとうたた寝してる間に夢を見ました。


それが、、、またまたフィギュアスケートの夢。

いつものごとく??高橋大輔選手がいました。
(以前の記事にも書いてますが、
フィギュアスケートの大会が近づくと夢に現れるのです)

スケートのリンク上で皆と談笑している夢でした。



何か、大会のスケジュールを見逃してる??のかしら???と、

思って調べてみましたが、特に開催予定もないようです。



高橋選手、、、たしかに素敵な人だとは思いますが、

ど~ゆ~意味で夢に出てくるのかしら???



ど~して、サムとディーンは一度も夢に現れないのかしら~~~??

毎日DVD観てるのに!!!

(あ、今、シーズン2を観はじめてるところです。)



ど~~でもいい話ですみません(汗笑)。


 
相談にのっていると、

「これは私の管轄ではない」と思うときがあります。



「心療内科」や「病院」に行ったほうが良いのでは?と思うときです。

アドバイスや相談のレベルではなく、

身体的・精神的に病気の場合、です。



そのときは、そのまま相談者さまに伝えます。

「病院で診てもらいなさい」、と。



それで、私自身も思うのですが、

人生が前向きに進むのは、

精神・肉体が健康(正常)である、ということが前提です。

(持病は、除きます)


あるいは、病気であることを本人が理解したうえである、

ということが前提です。


病気が原因で人生がうまくいかないときは、

病気を治すのが先決です。



健康でも、悩みがあると気分が落ち込みます。

鬱っぽい気持ちになったりネガティブな気分になったりします。

でも、それと病気は明らかに違うのです。

それは、お話しているとわかります。



相談者さまの分析力の異常な低下や、

話が統一されておらず、分離しているときなど、

話をしている間に、いろんな人格や性格が出てくるとき、、、、です。



 

いろんな相談にのっていて思うのですが、

人って、目に見える現実よりも、

目に見えない感覚で行動してるものです。



目に見える現実と、

自分が感じるものが違うことに気がついたときに、悩むのです。



もっとわかりやすくいうと、

たとえば、

現実では上司なのに、上司と思うと腹が立つ。

現実では恋人なのに、恋人と思うと不安になる。

現実では父親なのに、父親と思うと気持ち悪い。



現実がそうであっても、何かが違う、、、、。

上司のはずなのに、何かが違う。

恋人のはずなのに、何かが違う。

父親のはずなのに、何かが違う。




けれど、何が違うのかはわからない。

そう感じたときに悩むのです。





その違いは、何かというと、

「縁」です。



現実は、人が作り出すもの。

縁は、与えられたもの。

現実は、人の手によって変えることが出来る。

縁は、誰にも変えられない。



現実は、移ろいやすいもの。

縁は、変わらないもの。



人は、刹那的な現実よりも、

縁の中に真実を感じます。

ですので、現実と縁の違いを感じたとき、

なんとも説明のつかないもどかしさを感じて悩むのです。



 
霊能者 = 神の代理人

であるとしたら、

霊能者は、「神の代理人」を語るでしょう。



その定義そのものに問題があるような気がします。



一般的に言われる

霊能者は、「霊」の存在を知らせる人、

という定義が一番もっともらしくて、

問題がないと思います。



ですから、「私は霊能者、神の代理人です」という人の言うことは、

信用しないことです。

「私は霊能者、霊の存在をあなたに伝えます」

という人で、「霊」との接し方を教える人は、

特に問題はないと思います。




霊能者の設定する金額は、

あくまで仕事とする場合、

仕事として成立する金額を提示するのは自然でしょう。


組織化する人もいれば、単独でする人もいるでしょう。


お客様は、内容と金額を吟味して、

満足のいく霊能者のところに行けばいいわけです。



 
今、世間を騒がせている自称 霊能者が、

低級霊に惑わされて、多額のお金を吸い上げたとすれば、

悪いのは、誰(何)??ということになります。



低級霊に惑わされるあなたの責任です、ということになれば、

低級霊に惑わされている人の言うことを信じた人の責任です、

ということにもなります。

要するに、加害者も被害者も責任が同じということです。



霊能力がないのに、

「ある」と言って、嘘をついて騙してお金を吸い上げたのなら、

詐欺です。

本物か詐欺師かを判別するには、

現実を検討する、つまり、霊能者の言ってることがつじつまが合うかどうか、

ということを検証する必要があります。

もし、仮に霊能者が本当に霊能力があったとしても、

問題は能力のあるなしではなく、

裁かれるのは「行い」です。



人に迷惑をかけたり、悪いことをすると、

人に裁かれるのです。



霊に迷惑をかけたり、悪いことをすると、

霊に裁かれます。



お騒がせな霊能者は、

結局のところ、人にも霊にも裁かれるに違いありません。




 
人間を追及していく中で、

霊能者、超能力者、預言者、予知能力者の明言を避けることは出来ません。


そんな人はいない!と、言うと、嘘になるからです。

私自身、その能力を感じているからです。



霊能者に本物と偽者があるなら、

偽者は詐欺師です。

低級霊??に惑わされていようが、

霊能者は霊能者であることにかわりはありません。

(「本物の霊能者とは」の記事に、偽者は低級霊に惑わされているだけ、

と、書かれてあったので)



だいたい霊能者は、低級霊??の声を聞こうが、

高級霊??の声を聞こうが、

人間であることにかわりはありません。



低級霊??であろうが高級霊??であろうが

霊であることにはかわりありません。



私の言葉に置き換えるなら、

低級霊は悪魔の声で、

高級霊は天使の声ということなのだろうとは思うのですが、

悪魔の声を聞く人は、

霊能者であろうと、普通の人であろうと、

問題を起こします。


逆に、天使の声を聞く人は、

霊能者であろうと、普通の人であろうと、

社会に貢献します。



霊能者を特別視するのは、古い慣習にとらわれている証拠です。

(私も 霊能者=気持ち悪い と、思ってるので周囲の作り上げたイメージに

影響受けてます。)




霊能者の役割は、「霊」の存在を世に知らせることだ、

と一般的には言われています。

人は「肉体」だけではなく、

「霊」的な一面をもっているのだ、ということを

世に知らせる役目なのです。



「霊」の存在を伝える方法は、

人それぞれ違います。

「幽霊」「背後霊」「ご先祖の霊」でもって伝える人もいれば、

「前世」という言い方もあります。

私のように「天使・悪魔」という方法もあれば、

「神」という人もいます。

「予知」「予言」の方法で伝える人もいます。

「運」「縁」もそうです。(私も相談中によく使います)

「見えない情報」「法則」もそうです。(これも私はよく使う言葉ですね)



予知は、「縁」と「法則」を見ていくと、自然に見えてくるものです。

「見えない情報」は「魂の情報」ともいえます。

「魂」は「心」と言い換えることも出来ます。

「直感」は「予知の一部」です。


「天使・悪魔」は、言い換えると「善意・悪意」です。

「神」は「自然・宇宙の法則」(私にとっては)です。

「運」は「もって生まれたもの」です。



人間は、「肉体」だけで構成されていて、

「死んだら終わりだ」、という考え方に対して、

真っ向から反対しているのが、私です。


「死んだら終わり」という考え方のどこに救いがあり、

前向きな要素があるのかわからないからです。



「それが現実なんだから、受け入れなさい。」

と、言われても、

「死んだことない人に何がわかる?」と反論したくなるのです。

「じゃあ、あなたは死んだことがあるの?」と聞かれたら、

私も死んだことはないのでわからない、というのが現実ですが、

結局は、「誰もわからない」が正解だったりするのですが、

わからないからこそ、

「死んだら終わり」を信じるのか、

「死んだら終わりではない」を信じるのかは、

個人の自由だと思うのです。



だとしたら、より有意義に生きられるほうを信じるに決まっています。

そして、私は、どこまでも

人は「肉体」だけの存在ではない!

「死んだら終わり」ではない!ということを

追求していくのです。


それこそが、

「なぜ人は悩むのか?苦しむのか?」

「なぜ生まれてきたのか?」

の答えにつながっている、と信じているからです。



 
「霊能力者」というと、

私個人的には、気持ち悪いイメージがあります。


「え?あなた、霊能者じゃないの?」

と、言う声が聞こえてきそうですが^^;。



自分のことを霊能者と名乗ったことは一度もないですし、

霊能者というと怪しい、、、というイメージがあって、

「(歪められたイメージの怪しい)霊能者ではない」と、

自分の中では思ってるのですが、、、。


しかも、またまた「霊能者詐欺」が騒がれてますし、、、。



人には、いろんな能力が備わっています。

運動神経や頭脳明晰、容姿端麗、など、

わかりやすい能力をもって生まれた人がいるかと思えば、

予知能力、霊能力、超能力などの

一見、怪しいと思われがちな能力をもって生まれた人もいます。



前者が日の当たる場所を生きていけるとするならば、

後者は日陰の身です。 (イメージが歪められ過ぎてるのが原因です)


こっそりと、出来るだけわからないように隠れて生きていかねばなりません。

(別に悪いことをしてるわけでもないのに、、、)


能力があっても、信じてくれる人のためだけに使うのです。



本物の霊能者について書かれた記事を見つけて読んでみたのですが、

「本物の霊能者は人格が出来ていて、

神の道具として与えられた人生を全うする、、、、」と。

「決して、プライベートなことや低俗なことにその能力を使わない」、と。



霊能者 = 神の代理人

なんですって。



それからすると、私は、ちっとも神の代理人ではないし、

それどころか、「神はいない!」と断言しているし、

人間臭くないと人生相談には乗れないと思っています。

(自然の法則 = 神 だと思ってるので)



世俗を離れて浮世離れしていては、

人の心の痛みは理解出来ないのでは?と、思っています。



私にとって大切なのは、

能力ではなく、

「人間とは何か?」の追求なのです。


「なぜ、人は悩むのか?」

「苦しみの根源は何か?」

なのです。



人間の心理の追求なのです。

「魂とは、人生とは何か?生きるとは何か?」

そういったことを知りたいのです。

そして、答えを見つけたいのです。

ただ、それだけなのです。



追求していく中で、発見したことをお伝えしたいだけなのです。

そして、それが、人生の役に立つことが出来れば、、、

と考えているだけなのです。

そうやって、私は、社会と接点を持とうとしているのです。

それが私流の社会貢献だと思っているからです。




 
次の時代に求められるものは、

「はかなさ」です。


普遍性を持つ芸術に「はかなさ」が加わると、

次の時代にも通じます。


「野太いもの」「がっしりしたもの」「頑丈なもの」

そういうイメージの商品よりも、

「はかない」「繊細」

というイメージを含んだ商品を考えるのも良いと思います。



今は、「元気なもの」「子供」「可愛い」

というイメージが含まれているほうがより好まれます。


 
2日前の記事にも書きましたが、

芸術は遊びの中から生まれます。



夢中になって創造・想像することで、

芸術は生まれます。


子供のように夢中になって考える(作る)。

そうすると、そこには何らかの芸術が誕生します。



それにはまず、出来上がった固い考え方を壊す痛みが伴います。

既成概念を壊すのは、大変な努力が必要です。

「これはこういうもの」という植えつけられた、洗脳されたものを

とかねばなりません。



そして、自分の内面・心の中にあるものを掘り起こすのです。


芸術は普遍性を含んでいます。

自分の中の普遍的なものを探すことです。



 
オリジナリティとは、独創的であるということです。

独創的であるためには、

自分の中にある唯一のものを引っ張り出す必要があります。


「独学」は、この時代に必要です。

「独自の方法」「独自のもの」は、習っていたのでは生まれないからです。


あえて、習うことを避け、

内面を見つめる。

自分の中に元々備わっているものを見つける。



それは別の言葉で言い換えると、

「芸術」です。

「100点の技術と芸術的な思考」を兼ね備えなければ1番にはなれません。



 
1番になる、という考え方は、

「なんとなく」「ばくぜんと」というグレーな考え方ではありません。

「皆がそうするから」という、日本人特有の考え方を捨てねばなりません。



すべてにおいてわかりやすく(明確である)表現さていて、

群を抜いていること、またそういった思考を備えていなければなりません。



「今までそうだったから」という古い慣習を捨て、

皆がしていることをあえてはずす(しない)という勇気を持たねば、

1番にはなれません。



一昔前までは、

日本人は、「右へ倣え」で、皆といかに同じであるか、

ということが大事でした。


「群れからはずれることは嫌われること」を意味していました。

でも、この考え方では1番にはなれません。


「群れからはずれて抜きん出ること」が、

1番になることだからです。



1番になる、ということは、

群れからはずれる痛みを伴うのです。

群れていては1番にはなれません。



テストで100点を取れば1番になれるわけではありません。

100点を取る人が何十人もいれば、1番ではないのです。


1番になるためには、誰もしていないことに着手しなければなりません。


1番になるためには、100点の技術+オリジナリティ が必要なのです。



 
今は、物が売れない時代です。

それは、なぜ?

お金がないから?不景気だから?物を買うのに飽きたから?

物欲が減少してるから?



いいえ、価値観が変化したからです。



人は、みな、自信を持ちたいとおもっています。

10年以上前は、自信をつけるために、

高級品を買っていました。

高級品を身につけることが自信をつけることにつながっていたからです。

ボロを着てるとそれだけで自信がなくなる時代だったのです。


それが、徐々に、高級品から1点ものへと変化し、

1点ものから個性を表現するものへと変化しました。


そして、今の時代に入りました。



では、今、人は、自信をつけるために何を欲しているのでしょう?


今はネットの時代です。

情報・知識の時代になったのです。

よりたくさんの情報を手に入れることで自信をつける時代になったのです。



物を買うのにしても、どこよりも1番(安い・良い・ユニーク・珍しい、、、、)

それを手に入れることが、自信につながるのです。



何かが「1番」の商品。

それが売れる時代になったのです。


1番軽い、1番機能が充実している、1番サービスが良い、1番安い、、、、など、

何かに特化して1番であること。



そして、1番のものを買うことで購入者さまは自信をみにつける、、、

そういう時代なのです。



何を1番とおもうかは、購入者さまの価値観にゆだねられるので、

売れるものはより細分化され、

大量に売れるという現象がなくなりました。



それぞれの価値観にあったもの、

それも、その人それぞれの中で1番だと思うものが売れる時代、、、。



商品を売る側は、本当に大変な時代に入った、ということです。



では、売れる商品を作るにはどうしたらいいのか?

時代の波についていこうとしても、付け焼刃では無理です。

思いつきでは売れません。



自分の商品の「1番」は何か。

1番の部分を増やすことは可能か。
(たとえば安さと便利さ、、、とか。可愛らしさと種類の豊富さと安さ、、、とか)



販売方法も「1番」を意識せねばなりません。

「1番子供向き」「1番オタク向き」「1番大人向き」「1番大衆向き」、、、など。



どのターゲットに対して1番であるか、ということが勝負の鍵です。






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